本が出る。文章の書き方を書く。

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 人前で「趣味は小説を書くことです」なんて言うと「すごいね、私はぜんぜん書けない!」と言われることがあります。

 この場合の「書けない」には大まかに分けて一種類あって、というか一種類しかなくて、
『すげぇ~、私は興味ないけど書ける人初めて見た~!珍獣~!』
 くらいの意味しかありません。バカにしてんのか。

 まぁ放っといてくれるならマシで、「今度見せてよ~」とか絡んでくる奴もいて、「興味ない癖に絡んでくんなよ、未だにクロックスのパチモン履いてそうなツラしやがって」と思うことしきりですが、そういうことではなくて。

 さて、頻繁に驚かれるということは、どうやら「小説が書ける」というのは特殊技能のようです。
『特殊技能』とは口幅ったいようですが、少なくとも職場の隣の席の方に「小説書いてる?」と聞いてみてください。
 メガネの事務の方(備考:クリスマスに謎の休暇を取る)に聞かない限りは「は?」と返されるでしょう。それだけ特殊な趣味なわけですね(それか、あなたが嫌われているか)。

 さて、しかしながら文章は誰でも書けるはずです。
 いやまぁ、ここでいう「誰でも」とは「小学校以上の教育を修了した者に限る」あるいは「SNSでエセ科学か陰謀論を振りまいて自我を亡くしている者を除く」と制限を付けておきます。あれは鳴き声ですからね。
 まぁ、冗談はさておいて(冗談かどうかもさておいて)、興味があって、会社などで文章は書けるけれども、小説における文章の組立そのものがよくわからないし、稚拙な小説を書くのはこっ恥ずかしいという方にオススメな方法を、及ばずながらお伝えします。

Step1 名言はいつも「気持ち」

 さて、「誰だって最初は稚拙なものだよ! とりあえず書いてみよう!」という無責任を強いるつもりはありません。
(私はこういう無責任がとても嫌いです、最初から良い物を作りたいと思わないのは明らかな才能の欠落ですから)

「そうは言っても、我々にはスキルがないから稚拙になるだろう」と思うかもしれません。それでは、「文章のスキル」とは何かを考えてみましょう。
 いやまぁ、ここで「文章のスキルとは○○である」と答えを出せるのならば全然読まなくてもいいのですが、大体の人は口ごもるのではないでしょうか。

 では、「文章のスキルがある」と言われる名文を見てみましょう。

はたらけど はたらけど猶(なお) わが生活(くらし) 楽にならざり ぢつと手を見る

一握の砂 – 石川啄木

 別にどの名文でも構いませんが、長らく伝わっているのは「人の気持ち」が入っている文です。例外はありません。
 いやまぁ「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった(川端康成)」とかはどうなんだよ、と言われると「それも結局感情を表す語だけど伝わらない人には伝わらんよね、トンネルの話してるもんね」とは思いますが、一旦置いておいてください。

 というか、SNSで流行した単語でさえ、「エモい」「尊い」「ぴえん」「すこ」「優勝した」などの心が動く模様を指す語がほとんどでしょう(それ以外は芸人さんが流行らせた単語などが多いですね)。

 文豪と呼ばれる方々の言葉でさえ、感情を表す語が残るのですから、使わない手はないでしょう。

Step2 素直な感情を、自分だけの表現で

 さて、先ほど「気持ちを書け」と言いましたが、そんなことは創作・SNSなどに限らず皆さんがとっくにしていることです。
 しかし、「素直に感情に向き合った言葉」は、意外とありません。

「いや、そんなことないよ! 私は感情に向き合っているよ!」という方もいるかもしれませんね。

 日本語には耳障りの良い言葉が既に発明されていて、「こぼれ落ちそうな瞳」とか「太陽みたいな笑顔」とか「透き通る声」とかがあり、一度以上は聞いたことがあると思います。
(聞いたことがない方はルシア・レアグローブみたいに牢獄に閉じ込められていたんでしょう)

ごめんね(出典:RAVE)

 こういった慣用句が、他人の心を震わせることはありません。
 いや、発明された当初は皆の心が震えたのでしょうけど、今更「透き通るような声だよね~!」と言われたところで「なるほど…言い得て妙だな…」と感心することはないでしょう。

 きれいな声を聞いても、「きれいな声だなぁ」→「こういうのなんて言うんだっけ」→「透き通るような声、だな」と考えて出ているだけで、それは覚えている日本語の中から状況に似た語を探しているに過ぎません
 それは自分が得た感情を99.8%ぐらい表現していたとしても、感情というやつは残り0.2%が重要なんです。
 あなたの感情をなるべく損失なく文章に落とし込む作業、それが「他者との違い」であり、「文章のスキル」の正体になります。

 慣用句を使わずに表現をしようとしたとき、『あなたの過ごしてきたこれまで』を駆使しなければ言葉を作れません。
 例えば、「こぼれ落ちそうな瞳」と表現していた言葉を、慣用句を使わずに言い換えようとした時、「マチ針を刺したくなるような瞳」と言い換えたとしましょう。
 それはあなたが暴力的な人なのかもしれませんし、どこか子どもっぽい残酷さがある人なのかもしれません。ただ、あなたらしい言葉にはなるでしょう。そして、読者には「この言葉を選んだ意味」の考察の余地が生まれるわけです。

 そして、この方法では『自分の中にない言葉』は生まれません。
 そりゃ当然、自分で表現を作るわけですからね。

 慣用句は使いやすさ故に地方・環境を貫通して使われるため、他の言葉を駆逐します。まるで田舎にやってきたイオンのように。
 他人との被りを避け、新鮮な気持ちで読者に気持ちを伝えるには、自分の中にしかない『ローカル感』満載の言葉をぶつけるしかないのです。

 そして、文章(創作)に必要なスキルの正体とは「ローカル感」なのです。
 あなたが自然にあなたであるだけで、ただ生まれる言葉なのです。
「あなたがあなたであるだけで素晴らしい」みたいなキショイ主張をするつもりは毛頭ありませんが(生まれついて人類に仇なす存在だったらどうすんだ)、しかしそれでも、あなたの表現は私には書けない。文豪にも。
 そして、あなたの表現は文豪にも勝る表現です。

 少しまとめます。

 あなたの感情をなるべく損失なく文章に落とし込む
 =
 ローカル感
 =
 文章のスキル

Step3 観察眼を持たなきゃネタ切れする

 さて、書き方はわかりましたが、この方法で無限に書けるかと言えば、難しいと思います。
 というのも、人はそんなに心を動かさないからです。

「素直な感情の動きを書く」ということは、感情が動かなければ書けません。
 しかし、感情というやつはいつ動くかわからないんですね。

 ではどうすればいいかというと、観察眼を持つことです。
 これは「意識外のことを意識せよ」と言っているわけで、いきなりできるわけではありませんが、創作を(そしてもっと言えば人生を)良くしてくれます。

 例えば、

・あなたがいつものコンビニに入ったとき、先輩店員らしき人が新人に指導をしていた。その言葉が妙に強くて「客の前でやんな」と思った。
・あなたが朝起きたとき、埃っぽさを感じた。昨日は感じなかったのに。「マットレスどかして掃除すると、さらに埃が舞うんだろうな」と思った。
・あなたがつい夜更かしをしてしまい、寝ようとしたらすでに鳥が鳴いていた。「いつの間にか早朝じゃん、おもろ」とニヤけた。

 など。

 何も行動を起こさなくても観察眼は機能してくれます。
「10時間も寝てしまったが意外とお腹が空かない」などの観察も、「何も入っていない冷蔵庫がブーンと鳴いている。生意気だと思った」などの内巻きの方向でこそ、観察眼の得意とするところです。
(先述の啄木の歌でさえ、毎日働いているけど楽にならないことへの観察で行き着いた表現ですし)

 例えば、Twitterに「何気ない創作キャラとのいちゃつきをマンガにしている人」がいて、とてもエモーショナルであると反響を得ています。
 描いている内容は、ただ恋人が「ケーキって二つ並ぶとお誕生日会みたいだね」と喜んでいたり、「カレーって多く作るとおいしいね、初めて知った」という情景で、見逃しがちな日常だけれど、こういうことあるなぁ、と『ローカル感』に共感するわけですね。

 観察眼がなければ、よくある「二人の歯ブラシが並んで私たちみたい」のような、歌などで使い古されている表現しか出てきません。これはローカルとはいえず、みんなが知ってるメジャー路線です。いきなり丸くなって甘っちょろい恋愛のアルバムとか出すんやろなぁ。

 これを「妻が先立ってから腰痛がひどくなった。妻に合わせて作ったキッチンだったから」とするだけで「おお…先立たれた妻との関係性や、慣れない家事をしているおじいちゃんの図が浮かんでくる…!」となるわけですね。

 毎日のちょっとしたことを日常として脳へ負担を掛けず処理をするのはあまりにも簡単です。
 しかし、観察眼を持てば「あっ、ここエモーショナル!(小林製薬)」となり、毎日ルーチンをしてても勝手に楽しめるわけですね。

終わりに

 えー、私が文章を書いた本が出ます。なんででしょうね。
 名義が違うので宣伝はできません。でも、嬉しいので書いちゃいました。

 決して利益が出るタイプの本ではありませんが、それでも、私のやってきたことが形になるのはなんだか嬉しいなぁ、という気持ちと、早く実物を手に取ってみたいという気持ちと、「年度末に納期切りやがって! ○すぞ!!!」という気持ちが3分割です。

 私は決して文章力がある方の書き手ではありません。
 noteに4,000字も書いてる時点で察せるでしょう。
 ただ、もし評価してくれる人がいるとするなら、なるべく素直に感情を現して、何気ないことでも逃さないノー天気ピーカン野郎だったことが功を奏したのかもしれません。

 というわけで、長々とお疲れ様でした。

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